Purple Fabric’s Diary

映画や本、その他諸々について自分の意見を書くブログ。日本人になりたい日本人。Filmarks ID:pierrotshio

通りすがりのあなたへ #3

どうも、パープルファブリックです。

本日も、このブログに辿り着いたのが

知り合いではないことを祈るばかりです。

 

先日、父親の暮らすアパートに

久しぶりに泊まりました。

何故、父がアパート暮らしをしているかというと、

簡単に言えば母との不仲。

父は昔、仕事のストレスから母を精神的に傷つけ、

その為に母は心を閉ざしてしまいました。

私や姉の目から見ても酷い状況だったので

姉妹で家族会議の場を設けました。

話し合いの結果、別居という形で距離を置くことになりました。

 

さて、父のアパートで何を話したかと言うと

私の将来についてです。

私は脚本家を目指しているので、

派遣社員になって

ライフワークバランスを取りたいと

伝えました。

しかし、思った通り反対されました。

派遣社員は給料が安いだけで、

仕事量は変わらないとのことです。

そこで私は、時間だけでなく気持ちの面で

バランスを取りたいと伝えました。

頑張りすぎてしまうのが怖い、

きっと自分ではコントロール出来ないから

正社員より責任や期待の少ない立場でいたい、

そう伝えました。

すると父は、それは逃げだと言いました。

自由な時間が欲しいというなら分かるが、

私の考え方は逃げているようにしか思えないと。

なんだか矛盾しているような気がして、

それ以上の説得はとりあえず諦めました。

仕事量は変わらない、残業はある、という意見と、

自由な時間が欲しいというなら理解できるという意見が、

どうも私の中では噛み合わず、

何を言っても今は反対されるのだと思いました。

正直、父は私の尊敬する人だったので

ガッカリしました。

勿論、こういった場面では通常

親は反対するものですし、

金銭面で私に期待していたことも知っています。

ただ、残念でした。

私も私で、父に期待してしまっていたのでしょうね。

家族って難しい。

 

私は最近、家族への愛情が非常に小さく

危ういものとなってきているのを感じます。

家族なんだから好きにならないと、と私は

自分にプレッシャーをかけていました。

自分に、素晴らしい娘であることを期待して

いたのです。

しかし、そろそろ限界を迎えそうです。

お金さえあればすぐにでも飛び出したいと、

発狂するのを堪えながら生きています。

私が生きているのは、

両親が性交渉をして、

精子卵子が受精して、

私が母の中から産まれてきたから。

それ以上でも以下でもないと考えています。

私の中に、希望的観測はないのです。

好きなように生きたいけれど、

簡単に終わらせることができるなら、

その方がずっと幸せなのです。

 

暗い話をしてしまいましたが、

私はとりわけ不幸な訳でも

ネガティヴな訳でもないのだと思っています。

ただ人より少しばかり厭世的なだけだと

そう思っています。

 

とても仲良くしている友人はいくらかいますが、

私のこういった一面を知る人は恐らくいません。

私はとんでもない化け物です。

人を恐れ、人を遠ざけ、

人を好み、人を揺さぶる。

人であることを忘れ、

そのくせ人であることを誰よりも意識している。

愛されたくて、

そのくせ愛されると鬱陶しく思う。

私の中の激しい厭悪の凝塊は無限に存在し、

強気な現象として同じ理由で

幾度も現れるでしょう。

それでは、また。

通りすがりのあなたへ #2

どうも、パープルファブリックです。

これを読んでいるということは、

#1も読んだと捉えていいのかしら。

物好きがいるものですね。

#2まで読むなんて。

 

今日はずっと本を読んでいました。

安静にしなければならないので。

親知らずを抜いてから48時間が経ちましたが、

腫れは未だ引かず、

オモロイ感じになっています。

見た目は、ゆで卵をいっこ

片側の頬に銜んでいるような、そんな感じ。

まともな食事が出来ず、自分がこれまで

どれほど美味しい食事というものに

支えられてきたのか思い知らされました。

腫れが引いたら何を作ろうかと、

YouTubeでレシピ動画を見漁っています。

ところが、

こんな時に限って母はステーキを焼きました。

なんでやねん、と思ったけれど、

あまり口を開けられないから

突っ込むこともできず、もどかしいです。

食べたかった、ミスジステーキ。

 

とはいえ、熱を出した時もさる事ながら

親知らずを抜いて弱っている時には

母の優しさが心身ともに沁みます。

「これなら食べられるかな?」

と聞いてくれる時の温かさたるや、

なんだか懐かしさで涙が出そうになります。

 

読んでいた本は、坂口安吾の『白痴』です。

再読ですが、内容はかなり忘れているようで

新鮮な気持ちで読んでいます。

「いずこへ」の主人公の一人称が、

"私"から"俺"に変わる瞬間があるのを

ご存知ですか。

私はそこにとても心惹かれます。

投げやりな態度、粗野な一面が、

何だか色っぽくてドキッとします。

 

あなたは今日、何をして

どんなことを感じましたか。

退屈な日は退屈なりに、

「退屈だなぁ」と感じることができましたか。

1日の長さって毎日変わる気がしています。

長さはどっちがいいとかは分かりませんが、

嫌なことができるだけ少ない日がいいなと

私は思います。

 

さて、今日はこの辺で終わります。

あなたがいいならこのままで、

一方的なのが嫌ならぜひ話しかけてください。

顔は腫れていますが、文字でなら話せます。

ではまた。

通りすがりのあなたへ #1

はじめまして。

パープルファブリックです。

はじめましてかどうかは分からないけど、

あなたにメッセージを送るのは初めてだと思う。

 

何がきっかけで辿り着いたんだろう?

映画のレビューかな?コナンかな?

それとも同じ学校の人だったりして。

誰でもいいけど、時々誰かがこのブログに

アクセスしているみたい。

アクセス解析なるものがあって、

1人か2人、漂着したことが分かるんです。

別にコメントやら評価やらが欲しい訳じゃないけど、

ずっと気になっていたので語りかけます。

偶然辿り着くには、このブログはマイナー過ぎると思うのです。

 

どんな話をしようかな。

実は見切り発車。

何も考えてない。

でも、いつでも語りかけられるように

これは#1ということにしておきます。

 

私は、今日親知らずを抜きました。

麻酔したのに結構痛みがあって、

こんなときは無性に献血に行きたくなります。

誰かの為に自分ができることを

考えちゃうんだと思います。

偽善ってやつですが、まあ考えちゃうものは

仕方がないです。

そんな訳で早く寝てしまいたいので、

今日はこれくらいで勘弁してあげます。

ではまた。

詩:『写真』

夜のテンションで詩を書いた。

就活のせいかな、またマイナス思考に支配されている気がする。

何が言いたいかというと、私は今とても悲しくてこんなことを思っているけど、君には関係ないから君は君が納得いくような生き方をしてね、ということ。

誰かが読むのかどうか、分からないけど。

私は君が生きていてくれたら嬉しいよ。

 

***

 

懐かしい写真が出てきた

何も覚えてはいないけど

アコースティックギター

弾く母の横で立つ幼い私

 

「君も弾くのかい?」と 思わず呟いた

情けないね 今の私は 何もできないでいるんだ

 

もっともっと自由に

生きているはずだった

飛び立つ準備だけで

疲れてしまったみたい

これから起こるのは私が知っていること

それでいいやって思えるけど

 

手紙を書いてみようかな

5年後の自分に向けて

あの頃みたいに 今に

夢中になれない私

 

「君は生きているかい?」って聞いたら何て答える?

情けないよ きっと私は 何も言えなくなるんだ

 

もっともっと自由に

生きているはずだった

言葉も表情もみんな

私のものだった

壊れてしまいそうな人を好きになる 最近は

それでいいやって思うんだ

 

写真を見るのが好きになった

生きた証を確認するみたい

言葉より簡単だった

前よりずっと笑うのが上手になったから

 

もっともっと自由に

生きているはずだった

飛び立つ準備だけで

疲れてしまったみたい

これから起こるのは私が知っていること

それでいいやって思えるけど

 

もっとそっと愛を手に

生きているはずだった

飛び立つその直前で

怖くなってしまったみたい

これからを変えるのは私じゃないけれど

それでいいやって思えるんだ

君がしたいことをすればいいよ

 

***

 

強くなれたはずなのになぁ。

ずっと前を向いているのは難しいな。

 

「ピアノソナタ『月光』殺人事件」感想

名探偵コナン 第11話「ピアノソナタ『月光』殺人事件」のリブート(リメイク)版が、TVで放送された。

大きな声では言えないけれど、やはり何も言わずにやり過ごすことはできそうもないから、ここでひとりで語ってみる。

未来を生きる為に、今日のオタクは今日吐き出すことにする。

日付変わったけど。

 

ストーリー自体が持つ面白さは健在だった。

ファンや青山先生自身の評価からも分かる通り、ミステリーとしての完成度の高さが本作の魅力の一つだから、リブート版も悪くはない。

しかし、冒頭の言い草からも伝わっているだろうが個人的にはリブートは不要だったと思っている。

なぜならオリジナルの作画や声、雰囲気が私の中では完全無欠、完璧なものであり、リブート版はそれを越えることはおろか、同じレベルにすら達していないと感じてしまったからだ。

もちろん主観なのだが。

 

かつての作画は表情が豊かだった。

登場人物のデフォルメされた感情がむき出しになっていて、いい意味でキャラ化されていた。

そこに私たちは愛着を覚え、クスッと笑ってしまうのだ。

そしてだからこそ、シリアスな場面や狂気を孕んだ表情にゾクゾクするのだ。

昨今の作画は非常に安定しており、作画崩壊等とは無縁の日々が続いている。

技術の進歩、業務の効率化、作画の安定化、どれも素晴らしいことである。

しかし、かつて毎週のように変わっていた作画のあの味わいを忘れることができない。

それは単なるノスタルジーの様な後天性のものではなく、もっと先天的・潜在的なものだったと思うのだ。

そこには、確かに何かが宿っていた。

コナンの好きな話を振り返って見ると、そう思わずにはいられないのだ。

 

今も変わらず高山みなみさんの声はちゃんとコナンで、安心して聞いて、見ていられる。

だけど、やっぱり昔と今とでは演技が異なる。

良し悪しは各々の感覚でしか図れないが、オリジナルの切羽詰まった必死な演技の迫力は、間違いなく宝物だった。

それから、オリジナルのなるみさんの少し鼻にかかっていてハスキーな声がとても良かった。

声優を務めた折笠愛さんからは少年をベースにした女性の声という構造が感じられて、役にピッタリであった。

今回声優を務めたのは、沢城みゆきさん。

有名で人気な声優さんというだけあって、器用に声色を変化させていた。

スッキリしていて綺麗な声質と技術面での器用さは魅力的だが、お姉さんベースの声は役との間にギャップがあった気がする。

声に関しては本当に完全に個人的な感想だが。


閉鎖的で特殊な環境で起きる事件は、どちらかというと「金田一少年の事件簿」っぽい気がする。

日常生活において事件が起きるコナンの中では少し異質で、思いつく限りだと他には「青の古城探索事件」や「そして人魚はいなくなった」等がある。

これらも本作と同様に好きな話だ。

異質な存在の本作。

ベートーヴェンピアノソナタ第14番が効果的に使用されていて、始終不気味な雰囲気が漂っている。

ホラーでもサスペンスでもない。

これがミステリーなんだと思わされた、謎解きの場面。

声優さんの演技に脱帽するクライマックスと、その後に残る切ない余韻。

1996年には完成されていたと考えると尚更凄い。

 

オリジナルの方はYouTubeで公開されているので、見たことない人はぜひ見てほしい。

個人的には、さらっとピアノ弾いちゃう蘭ちゃんがとても好き。

それから、トボけて見える警官が、年の功か意外と鋭いところも昔のコナンっぽく感じられて好き。

そして最後の暗号からピアノの音楽への滑らかな流れが、失ってしまったもの、もう取り戻せないものの大きさを物語っているようで好き。

 

 

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以上、ひとりごとでした。

 

大切な人の話

大切な人が傷ついたり泣いたりするのは悲しい。

でも、自分が悲しい思いをするのは構わないから、その感情を素直に曝け出してほしいとも思う。

 

私は或る人がとても好きだ。

そして彼は先日ラジオで涙声で優しく訴えかけた。

「どうしてみんな、同じ話ができないんだろう。分かり合えないんだろう」

彼のそんな言葉を聞いて、彼にそれを言わせてしまう世界が嫌になった。

こんなことが、世の中には沢山ある。

 

遠隔授業がチャットによって行われた時に先生が、

「皆さんの、何かを悟った経験を聞きたいです。どんなことでもいいので」

と質問して来た。

自分の不登校&引きこもり話でも送りつけようかと迷ったが、こんな所で話したくないなと思ってやめた。

チャット画面では学生たちが自分の悟った経験を語っていた。

ある人は受験の話を重苦しく、ある人は家族の話を軽快に。

色んな人が、いるんだなぁ。

そう思った。

 

件のラジオと過去の似たような経験が、私の体内には澱の様に積もっていた。

何かが私を、私の臓器を、下から引っ張っているような感じがしていた。

無論それは重力なんて生やさしいものではない。

食道から胃、腸と、口にした毒が伝っていき、壁を尽く溶かしているような気持ち悪さだ。

ふと、この人たちに混じってその毒を吐き出してしまいたいと思った。

「自分の大切な人が他の人に傷つけられたり嫌われたりしているのを知ったとき、自分にとってはどんなに善い人でも、他の人から見たら違うかもしれないと考えました。」

 

様々な声に掻き消された私の毒は、誰に読まれたのか読まれなかったのか、消化されたのかどうかも分からない。

でも、あぁこういうことかと少し思った。

吐き出した後の毒のことなんて分からないけれど、吐き出した側の調子は少し穏やかになるらしい。

だったら彼も、吐き出してくれればいい。

受け止められない人もいるかもしれない。

彼の苦しみを自分のことのように感じて、苦しむ人もいるかもしれない。

でもそんなこと気にしないで、優しい彼のまま素直な感情を話してほしい。

優しい彼のままで、いるために。

彼はきっと簡単には鬼にならない。

人を思いやるのに充分すぎるくらいの強さと弱さを持っている。

そういう人は、少しくらい誰かを犠牲にする方がいいんだ。

 

私の大切な、とても大好きな人は、心が綺麗で強くて弱い人。

汚れてしまいそうだった私を救ってくれた人。

あなたに会えて本当によかった。

 

壊れてしまいそうな人、何かを壊してしまいたい人、そんな思いがかつてあった人。

そういう人と話したい。

心で寄り添い合いたい。

 

タイトル付けるのが難しい話

驚くってことは知らなかったってこと。

やっぱり、人の痛みは分かるようで分からないものね。

自分なんかは勿論だけど、親しかった人だって分からない。

ユーミンの『ひこうき雲』が聴こえてくる。

他の人には分からない。

 

誰かの死が、いつも議論を巻き起こして、だけどそのうちに忘れ去られる。

話し合うことをやめてしまう。

考えることをやめてしまう。

どうして時代は進んでも、どれだけ技術が進んでも、人間だけは進歩しないんだろう。

猿人、類人猿、この辺はあまり詳しくないけれど、そうやって進化してきた私たちはヒトから先には進まないんだろう。

大切な人の死を乗り越えることは勿論生きていく上で必要なこと。

でもどうして同じことが繰り返されるのかって、忘れてしまうからなんじゃないの?

人の痛みなんて分からない。

でも分からないのと、分かろうとしないのは全く別のこと。

一生分かるはずのないことを分かろうと一生懸命にならないと、また誰かが決断してしまう。

分かろうとして苦しくなって、それで初めて少し理解するのかもしれない。

だから私は考え続ける。

人の痛みを、感じたいんだ。

 

最近読んだ短編、菊池寛の『身投げ救助業』はほんの少しだけ今回のことに似ている。

全く知らない人の生死に、無責任に関わること。

生きることが正しいと思っているから、老婆は自殺者を救助し続け、さらにそれでお金を貰って生きてきた。

でも最後に、自らが自殺志願者となったとき、彼女は自分のしてきたことがとんでもなく的外れだったことを知る。

それはとてもショックだろう。

でも私からしたらとても当たり前の話でもある。

死にたいという気持ちも、生きたいという気持ちも、老婆を許せない気持ちも、感謝も、恥ずかしさも、全部私にとっては簡単に受け入れられることだ。

悲しいけれど、そんな感情が一気にやってくる感覚を私も知っているから。

死にたいと思わせないことが、真にその人を助けるということだと思う。

 

誰かが私に考えすぎだと言う。

誰かが私に面倒くさいと言う。

誰かが私を弱い人間だと言う。

誰かが私を知っていると言う。

 

私は常に考えてしまうし、とても複雑な人間だし、弱い。

でもそれだけが私じゃない。

私を知っている人なんてこの世に誰もいない。

ただ一人の友人も、家族でさえ、私のことをよく知らないんだ。

私はあとどれくらい生きられるかな。

この世界で、どれくらい生きようと思えるかな。

 

これだけ喋っといてあれだけど、ある人の自死は話題じゃない。

ただその人が、最後に手にした自由なんだ。