大切な人の話
大切な人が傷ついたり泣いたりするのは悲しい。
でも、自分が悲しい思いをするのは構わないから、その感情を素直に曝け出してほしいとも思う。
私は或る人がとても好きだ。
そして彼は先日ラジオで涙声で優しく訴えかけた。
「どうしてみんな、同じ話ができないんだろう。分かり合えないんだろう」
彼のそんな言葉を聞いて、彼にそれを言わせてしまう世界が嫌になった。
こんなことが、世の中には沢山ある。
遠隔授業がチャットによって行われた時に先生が、
「皆さんの、何かを悟った経験を聞きたいです。どんなことでもいいので」
と質問して来た。
自分の不登校&引きこもり話でも送りつけようかと迷ったが、こんな所で話したくないなと思ってやめた。
チャット画面では学生たちが自分の悟った経験を語っていた。
ある人は受験の話を重苦しく、ある人は家族の話を軽快に。
色んな人が、いるんだなぁ。
そう思った。
件のラジオと過去の似たような経験が、私の体内には澱の様に積もっていた。
何かが私を、私の臓器を、下から引っ張っているような感じがしていた。
無論それは重力なんて生やさしいものではない。
食道から胃、腸と、口にした毒が伝っていき、壁を尽く溶かしているような気持ち悪さだ。
ふと、この人たちに混じってその毒を吐き出してしまいたいと思った。
「自分の大切な人が他の人に傷つけられたり嫌われたりしているのを知ったとき、自分にとってはどんなに善い人でも、他の人から見たら違うかもしれないと考えました。」
様々な声に掻き消された私の毒は、誰に読まれたのか読まれなかったのか、消化されたのかどうかも分からない。
でも、あぁこういうことかと少し思った。
吐き出した後の毒のことなんて分からないけれど、吐き出した側の調子は少し穏やかになるらしい。
だったら彼も、吐き出してくれればいい。
受け止められない人もいるかもしれない。
彼の苦しみを自分のことのように感じて、苦しむ人もいるかもしれない。
でもそんなこと気にしないで、優しい彼のまま素直な感情を話してほしい。
優しい彼のままで、いるために。
彼はきっと簡単には鬼にならない。
人を思いやるのに充分すぎるくらいの強さと弱さを持っている。
そういう人は、少しくらい誰かを犠牲にする方がいいんだ。
私の大切な、とても大好きな人は、心が綺麗で強くて弱い人。
汚れてしまいそうだった私を救ってくれた人。
あなたに会えて本当によかった。
壊れてしまいそうな人、何かを壊してしまいたい人、そんな思いがかつてあった人。
そういう人と話したい。
心で寄り添い合いたい。