訳もなく大切にしたいとき
抑も自立というものが「私、自立できました」と自分で認識できるのかどうか分からない。
でも強いて言うなら、私の中では、家族のことを想って切なくなったり優しくしたいと感じたりしたときが大きな転換期だと思う。
まさにそれが今なのだが。
まだ10代後半である。
人生の先輩に舐められても仕方ない。
でもこんな短い人生の中にも沢山の出来事があった。
涙が枯れるには十分なくらい。
涙が出ない代わりに胸が苦しくなった。
特に家族のことを想うとき。
今、側にいる人も側にいない人も、大切な思い出の中では触れられるところにいた。
それが嫌だと感じていた頃もあった。
今はそれが幸せだったと気付いてしまった。
だから訳もなく大切にしたいと思う。
家族だけではない、大切な人を大切にしたいと思う。
今も昔も、思うように話が通じなくてイライラしたり、空恐ろしくて誰かに当たってしまいたかったりするときがある。
けれどたった1日の喧嘩が怖いと感じる今の自分は、やっぱり強くは言わない。
私は優しい人間です、と言いたい訳ではない。
ただ離れている時間に家族に会いたくなる。
昔を思い出して切なくも苦しくもなる。
嗚呼、変わったな、と自分を客観視すると、変わってよかったなと思う。
一般的な自立とは違う、寧ろこれは依存なのかもしれない。
でもこういう自分でよかったと思える自分になれたなら、それは自分を律することができていると言えると思う。
私は自分の好きな自分でいる。
それが少し負担になるときもあるけど、他者に頼らない自立より自分で決めて行動する自律の方が、私には合っている。
それに、それがいつか自立に繋がるかもしれない。
少なくともそのときまでは、このままの自分でいたいと思う。
密かに家族を慕う私のままで。