映:チョコレートドーナツ
監督:トラヴィス・ファイン
制作国:アメリカ
あらすじ(ネタバレ注意‼️‼️)
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1979年、カリフォルニア。
歌手を夢見ながら、ショーパブでパフォーマーをして暮らしているルディは、客として訪れた検事局のポールと交際を始める。
そんなとき、ルディはアパートの隣の部屋に住むダウン症の少年マルコが、母親が逮捕されたために施設に送られたという事実を知る。
何度も脱走を試みるマルコの姿に心を痛めたルディ。マルコを引き取り共に暮らすようにポールを説得する。
同性愛の恋人同士であることを伏せ、法的手続きによりマルコの監護者となった二人は本当の両親のようにマルコに愛情を注ぎ、三人で幸せな日々を送る。
しかし周りの反応は冷淡であり、二人はマルコの養育者と認められず裁判沙汰となる。
弁護士の奮闘もむなしく、ルディとポールはマルコとの関係を引き裂かれる。
そして施設に送られ再び脱走を試みたマルコは放浪のあげく亡くなる。
歌手となったルディは、怒りと悲しみを込めて歌う。
「1970年代、ニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話を基に制作された映画。
とても心に響くものがあった。
いつの間にか作られた常識というものが罪なき人から家族や愛、ついには命まで奪った。
心安らぐ家を探し歩いた。
私たちにもある家。
そこに帰ろうとした一人の少年が死んだ。
それでも常識を押し付けた人たちのうち何人かは後悔などしないかもしれない。
なぜなら彼らは自分が正しいと信じて疑わないから。
私だってそうだ。
私だって、彼らは間違っていたと信じてやまない。
正義と悪は表裏一体だと感じる。
必死に愛を訴えかけて、自分のプライバシーを晒されても冷静でいようと努めて、それでも最後は感情が溢れてしまう、法廷シーンのルディ。
マジョリティーの勝利を目の当たりにして、『重力ピエロ』という小説のあるセリフを思い出す。
「多数決と法律は重要なことに限って、役立たずなんだ」
この言葉が真実なのかもしれない。
彼らの間にある愛は紛れもなく本物であった。
愛には形がない。
目に見えないものを信じたり信じなかったりする私たちは、見えないそれを何度も色眼鏡で見ようとする。
そして見誤る。
それが誰かの幸せを妨げることだとしても。
私にとって、映画を観たり本を読んだり勉強したりすることは、その濁った眼鏡を少しでも澄んだものにできる手段の一つだ。
人の幸せを妨げないための。
"Any Day Now"
「いつの日か」
これがこの映画の原題だ。
(正直、邦題はあまり良いものではない。)
ルディが最後に歌う曲の歌詞にも使われている。
"Any day now, I shall be released."
「いつの日か、解放されるだろう」
祈るように、互いに確かめ合うように歌うルディの姿に涙が溢れた。
私は愛に肯定的でいたい。
予告動画↓
https://m.youtube.com/watch?v=Cl1eogSd1lM