自分を疑う勇気
木村花さん、という方が亡くなった件で、SNSの使い方やネットリテラシーを見直す流れができている。
私はLINE以外のSNSは見る専門なのであまり闇の部分(?)には触れる機会がなく、深く考えては来なかったが、今回は少し思うところがあったので考えをまとめておく。
まず私は木村花さんを全く知らない。
もしかしたら何時ぞやにネットニュースで名前を目にしたかもしれないが、記憶がないくらいだから全く知らないと言っても過言ではない。
テラスハウスに関しては湘南から始まり、東京、ハワイ、軽井沢まで行って途中で断念したタイプの人間。実はそこそこ見ているが、記憶も曖昧だし偶に録画できていなかったこともあって思い入れもない。
そんな人間が、大きな事件が起きたから流行りに乗って語り出すなんて、滑稽だと思う。
だけど捻くれている20歳の私は、普通の顔して反抗期、真っ只中。
ちょっとくらい噛みついたっていいんじゃない?(どうせ誰も読まないし)
ん?そうやって噛みついて人を傷つける行為が問題なんだって?
そんなことを言っている人は、今回の問題の趣旨を解っていないんじゃないだろうか。
誤解を避けるために私はよく前置きをたくさんするけれど、それは無駄ではないと考えている。
例の如くまた前置きをしておくと、「今回の問題」とか「事件」とかいう言い方は便宜上しているのであって、これらの出来事がネット上に蔓延る普遍的なテーマであること、大きな事件というだけではなくそこに至る過程があったことは重々承知の上である。
それからまだ「自殺」とは報道されていない中、それと断定するような発言があることはご容赦いただきたい。今回指摘したい問題の為にも、そういう前提で話を進めていく。
閑話休題、今回の件で目立つのは「誹謗中傷はやっぱり良くない」「今まで彼女を傷つけた人は反省しろ」「言葉は刃物だ」「某ドラマの台詞を思い出して」云々。
まあ想定内。
以前ブログでも言及したが
(https://purple-fabric.hatenadiary.jp/entry/2018/10/18/090523)
松本人志さんがいう「自殺をしたら擁護してもらえる風潮」というのはこれらのことだろう。
私は死者が自ら選んだ「死」というものを否定するのは嫌だと考えている。
ブログでの言及通り「逃げてもいい」と生前に示すことは大事だが、死後に「生きていなきゃ意味がない」などと否定しまくるのは如何なものかと常々思っている。
だから「自殺をしたら擁護してもらえる風潮」自体は各々が正義感のもと行なっている弔いみたいなもので、至って健全、だとは思う。
しかし前述の意見たちは、無論、木村花さんに対してではなく誹謗中傷し続けた不特定多数の人へ向けたもの。(偶に「あまりに卑劣なのでアカウント晒します」みたいなのもあるが)
扨、私はその何が問題だと考えているでしょう。
タイトルや「〜趣旨を解っていないんじゃないだろうか」の文から既に気付いているかもしれない。
いや、むしろそれくらい気付いてくれ。
無論、「誹謗中傷してる人を吊し上げてる人、あなたも同じことしてますよ〜」みたいな、「いや、それも誹謗中傷ですよ〜」みたいな、阿呆なやりとりをしたい訳ではない。
つまり批判的な意見を述べることについては、それが道理に合うのであれば正しいと思うのだ。
道徳的にでも、理論的にでも、説得力のある批判というのは心強い。
人間も作品も、そうやって磨かれていくものだから。
逆に言えばその行為は「磨くこと」が目的でなければならず、「傷をつけてしまう」批判は無意味な誹謗中傷ということになる。
だから、傷つけるのではなく道徳的に磨こうとする様々な声は正しい。
しかし、その矛先がいつだって他者であることが問題なのだと私は説きたい。
自分は同じようなことを別の人に対してやっていないだろうか、誰かを傷つけてはいないだろうか、そうやって自分を疑うことを何故か誰もしない。
そういう人が表に出ていないだけだったらごめんなさい。
でも、やはりそういう人は少ない気がしている。
今回の件で反省した人もいるだろうが、もしかしたら少しイラッとしただけの反省しなかった人もいるかもしれない。
「自分たちは悪くないのに、相手が死んだからって悪者にされた」
なんて、思ったかもしれない。
それは結局、その人が自分を疑うことができない人だからだと思う。
全く人を傷つけずに生きるなんて、無理な話だ。
生きる為に多くの人と関わる必要がある以上、その中に苦手な人・嫌いな人がいるのは当たり前で、その人を傷つけて一時的に心が落ち着くこともある。
それを全てなくすなんてことは考えていない。
でも犯人探しをする前に、みんなが自分を疑うことができれば、少しは世界が善くなるんじゃないだろうか。
私だって一瞬は、死に追い詰めた人たちが悪い、というだけで終わらせようと思った。
でも、SNSで発したことはなくても、私は一緒に暮らす家族や様々な知り合いに誰かの悪口を言ったことがあると思い直した。
基本的に道理に合っているつもり(つまりただムカつくとかではなく、行為や言動に対して抱いた疑問)だが、それを本人に聞こえないところでしている時点で間違いなくそれはその人を磨くことを目的とした行為ではない。
反省は、自分でするものだ。
誰かに促されてするものじゃない。
それは同時に、誰かに促すものでもないということを意味する。
木村花さんを傷つけたのは、あなたじゃないかもしれない。
でもあなたが他の場所で誰かを傷つけているとしたら、この一件を機に変えるべきは自分自身なのかもしれない。
もし誰のことも傷つけていないと思うなら、自分も予備軍だと思った方がいい。自分を疑うことができなかったなら、充分に可能性を秘めているから。
自分を疑って、責めることが出来てから、誰かに「そんなに自分を責めないで」と言ってもらうのが、正しい順番だと思うんだ。
やっぱり捻くれている。
でもまあ、善い人っていうのはそういうものだと思うから、世の中の人がみんなそうあってほしいかな。
自尊心が低いところから、どんどん励まし合って成長する感じ。
自尊心高い者同士が責め合うんじゃなくてね。
自尊心は、努力と共にだんだん高まっていくのがいいと思うよ。
以上、自粛解除されたけど、自分の意思で自粛しようと思ってるパープル・ファブリックでした。