詩:朝のリレー
タイトル:朝のリレー
作者:谷川俊太郎
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カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球で
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交換で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
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引用(https://urushi-art.net/hitokoto/backfile/best/asanorirei.html)
【感想】
憂鬱な朝である。
私たちが過ごすそれというのは。
私は眠りにつく前に、自分に訪れる次の朝のことを考える。ちゃんと目を覚ますことができるだろうか、そして時間通りにあの列車に乗り、学び舎までたどり着くだろうか、と。そんなことを考えて不安になっていると、眠るだけの夜に遣る瀬無い思いが押し寄せてくる。手放すのが惜しい温もりに包まれながら、そこから追い出される明日を恐れているのだ。こんな毎日が永遠に続いてしまいそうで、私は闇夜を照らす朝という光が実に憎々しいのである。
彼はどうだったろうか、谷川俊太郎は。彼は自らに降りかかる次の朝より既に訪れている誰かの朝を見ていた。そしてこちらでは夜の帳が下りているというのに、「グッモーニン!」と見えない誰かに挨拶しているようだ。これは実際に彼が言っていた訳ではなく、彼の作品「朝のリレー」を読んで私が考えたことなのだが。
なるほど、眠りにつくとき、誰かの朝を感じられたら幸せかもしれない。人跡未踏の明日より、誰かの今日をお下がりでもらった方が安心かもしれない。そのうちやって来る朝は誰かの温もりを残したお古なんだから、布団から出ることを恐れる必要はない。この優しい詩を読んで、私の恐れる明日とはまやかしだったと気付いた。
人は時折、詩に救いを求めることがある。恋をしているとき、答えを見つけられないとき、生きるのが辛いとき。大きなことでも、小さなことでも、彼らは全部優しく抱きしめてくれる。彼はこの詩がここまで人の心を癒すとは思っていなかったかもしれない。しかし、そもそも芸術作品は作者の手を離れてもなお生き続け、受け手の中でまた姿を変える。完成した形などないのだ。だから、優しいのだ。